親の介護を通して

 私は、妻とともに私の両親と妻の父親の介護を致しました。今は皆亡くなり、その頃の事をゆっくりと思い返す事が出来るようになりました。 

 介護は、最終的に介護される人の入院、死亡をもって終える事が多いため、何とも形容し難い空しさを感じるものでした。また、相手が認知症だと分っていても、身内であるがゆえに言いたい事を言ってしまったりもしました。後悔するばかりですが、当時は必死でした。病状が進行した父を3人で車に乗せた時のこと、大腿骨を骨折した母を背負って車に乗せた時のことや夜を怖がる母と一緒に寝た時のこと、転倒して頭を打った1週間後、急に身体機能が低下してしまった義父を見て焦った時のこと等、色々な事が思い出されます。逆の考え方をすると、人生で最も深く親と関わった時なのかもしれません。 

 さて、こうした介護の経験を通して感じたことがあります。

  一つは、将来できるだけ介護を受けなくても済むように、生活習慣病予防など今できる事は確実に行うべきであるという事です。高齢化が進む中、行政、医療機関、介護施設、各地域が一体となって、これまで以上に取り組んでいく必要があります。 

 もう一つは、介護施設の有難さです。本当に良くして頂きました。都会ではこれから高齢化が進むため、今後の介護施設等の不足が危惧されています。柳井市においても十分とは言えないのかもしれませんが、現在の各地域にある介護施設がその地域の核となって、包括的なケアの仕組み、介護体制を充実させて行かなければならないと考えています。 

 介護については、財源やそこで働く人々の処遇など様々な課題はあります。また、行政にとっては頻度の高い制度改正に悩まされるところです。しかし、皆でアイデアを出し合い地方自治体としてできる事をしっかりと進めていかなければならないと思います。 

平井保彦の「ふのせ通信」

余田には、ため池「富農勢(ふのせ)の池」があります。池の水は、地区の田の隅々にまで流れ米作りの助けとなっています。このため池の歴史と多様な役割を良く認識し、この池の水の如く地域の隅々にまで目を配り、地域のためにという気持ちをしっかり持って歩んで参ります。

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